ラッパの朝

ラクションが響き渡る朝に辟易としています
朝の訪れというものは静かに厳格でなければならないのです
駄々を捏ねる子供の声や赤ん坊の泣き声など
蒙古斑の共鳴する朝など死んでしまえばいい
朝が死んでも夜が続くだけであって私には何の問題もない
むしろその方が惰眠を貪る口実になり好都合なのです
しかし朝顔の咲かない夏の朝は風情に欠けるものがあり
それに耐え切れるかといえば人生は懸念なしなのです
ところで誰か私の靴下を返してくれませんか?