2007-08-07 ラッパの朝 クラクションが響き渡る朝に辟易としています 朝の訪れというものは静かに厳格でなければならないのです 駄々を捏ねる子供の声や赤ん坊の泣き声など 蒙古斑の共鳴する朝など死んでしまえばいい 朝が死んでも夜が続くだけであって私には何の問題もない むしろその方が惰眠を貪る口実になり好都合なのです しかし朝顔の咲かない夏の朝は風情に欠けるものがあり それに耐え切れるかといえば人生は懸念なしなのです ところで誰か私の靴下を返してくれませんか?