蟹山伏

馬鹿の態をした馬鹿話が嫌いだ
本来、馬鹿話とは頭の良い人間が馬鹿のふりをして話す
インテリジェンスに溢れた話だと思うのだ
私は馬鹿の態をした馬鹿であり知性など欠片も持っていない
しかし相手方が知性を見せながら馬鹿話をすると
そこにはインテレクチュアルな馬鹿空間が生まれ楽しめるのだ
しかし相手方も馬鹿の態をした馬鹿であると
そこにはすっとこどっこいの真骨頂の会話が生まれる
それはそれで一時の快楽とはなるのだが
後々思い返してみると相手は実は馬鹿を装っていただけであり
私はそれを見抜けずに嘲斎坊にされたのではないか
相手方はインテリの塊で真の馬鹿を演じ切ったのではないかと
疑心暗鬼になるのだ
私は馬鹿なので知性の垣間見える馬鹿話が好きなのだ