嘘をつき吠える犬

 世の中の人間は二分に別れる。それは優秀な人間と劣悪な人間である。私はどちらかと言えば劣悪な人間だ。だが、そこで悲観して止まってしまえば惨めで余計に劣悪さが増すのだ。劣悪な人間が優秀な人間に勝るにはどうすればいいのか?それは簡単な事だ。それは優秀な人間を超えればいいのだ。そして勝者は優秀な人間、敗者は劣悪な人間と再分配できるのだ。だが劣悪な人間は何をしても優れない。テストなど頭を使った事でもスポーツなど体を使ったことでも。そう、それは遺伝子の差だ。中学生の時に誰もが習ったであろう優性遺伝子、劣勢遺伝子の法則だ。優勢に勝るためには、いや同じ土俵に上がるのには劣勢x劣勢の遺伝子か優勢x優勢の遺伝子を持っていないとお話にならないのだ。だが勝負とはバーリトゥードゥだ。多少の無茶をすればいい。遺伝子を根底から覆せばいいのだ。
 そう殺してしまえばいい。優秀な人より優秀な人を殺せば殺した優秀な人はさらに優秀となれるし、劣悪な人が優秀な人を殺せば優秀な人間の出来上がりだ。なぜならば優秀な人間の命を超越できたからだ。だがこんな日記を読んでも人はキチガイの戯言だと思うだろう。
否、これは世界の真理だ。”前に自己の中で確立し、己の善悪の判断と共に仲間に認めてもらうことが「文化」なのでは”ないかと書いた。そう人殺しで優劣を決める文化は昔からある。今でもある。それはアフリカの原住民等ではない、今の日本社会でもそのような文化を持っているのだ。ダークヒーロー崇拝という文化もそれに当てはまるだろうがもっと根底からある物がある。それは”法”である。例えば窃盗をする劣悪な人間がいる。それを法的に裁くことによって社会から黙殺する事が可能なのである。社会は罪を犯した人に厳しい。例え更正に向かっていても厳しいのだ。一度、罪を犯した人間を就職させてくれる会社など一握りの米ほどしかないだろう。罪人は更正をすると言ってもドカチンやアルバイトといった社会の底辺でしか暮らせないのだ。しかも社会は厳しい。就職した、アルバイトをしている等と言っても罪は一生圧し掛かる。就職先だろがアルバイト先だろうが過去の罪を理由に解雇等されたりするだろう。待っているのは孤独死だ。それは社会が殺したのに等しい。つまり罪人は劣悪であるが故に優秀な法に殺されるのだ。
 実はこれはもっと原始的な所でも見て取れる文化なのだ。野生の犬の群れでは見張り役がいる。その見張り役は外敵が来たら吠えて知らせるのだ。群れと言うメリットを最大限に生かした習性だ。だが、時偶に”嘘をつき吠える犬”がいる。外敵がいないのに外敵が来たと吠えて知らせるのだ。そうしたら群れは逃げなくてはいけない。それは集団でバラバラに逃げると言う事だ。群れでなくなる犬の集団は単独で身を危険に晒すことに等しいのである。もし、その嘘がバレた時、その嘘をついた犬は群れから外される。はぐれ狼などはその代表たる物だ。犬というのは群れで暮らすのでメリットがあるのであり、そのメリットを失う事は生死に関る。これは犬の中で”嘘をついたら群れから外す”という法があって成り立っているのだ。人間社会も同じである。
 だがもし。このはぐれた犬が群れを全員噛み殺したらどうなるだろう。法と言う物は意味を持たなくなる。”群れから外れる”というデメリットは無くなるのだ。群れは存在しなくなるのだから、群れもへったくれも無くなり、群れでのメリットという概念は無くなるのだ。だが待っているのは死な事に変わりはない。これは人間社会に当てはめてもおかしくないのだ。罪人が法に叛旗を翻し、調停等で裁判官や警官を殺せば死刑になる確率は高くなる。だが”孤高”の存在となれる。それは優秀な人間だ。死刑にされるが社会には関与ができなくなるので罪を背負って生きなくてもいい。そう、自由で孤高の存在となれる。
 私は劣悪な人間だ。いつ社会に叛旗を翻しても捨てる物はない。むしろ孤高の存在となりたいのだ。そして優秀な人間を見返してやりたいのだ。