2007-02-20 感情論の隠喩 泣いていた私の記憶はあるが 笑っていた私の記憶はない 昭和のノスタルジーの風に不意に吹かれると 私自身の頭が破傷風になった様で 臆病風の奥に畸形児を隠した現代社会に 何かと反抗したくなってくる物だ 首が伸び腹は破裂しまさに地獄絵図の如しであった 擬人法の果ては人間だ 誰しもが人間になり帰って来る 遅かれ早かれ時が来る時を私は 堕胎の態で不束に待つのが宜しいと 宣教師は呟いたのだ 畏怖とはその事を差すのだろう 花が散る思い出だけ私の脳裏にフラッシュバックされる