夏の終りに

今年の夏も、もう今日で終りに成って終う訳だが
私の人生は未だに終わりが見えず、始まりも見えない
そもそも終るにも始まって居らず、始まるにも遅すぎる
御先が真っ暗で人生の意味すら考える事を失って終っている
そんな盲目的な毎日を盲信的に過ごしている訳だが
今年は蝉の死体を見かけなかった
その事にどんな意味が有るのかは分らないが
もし私が蝉なら静かな所で死にたい
仲間が泣き、家族が泣き、見ず知らずの親戚の泣かない所
つまりは蝉時雨の無い所で死にたい
蝉は今年は願いを叶えられた様で私の様にぎゃあぎゃあと
小五月蝿い人間の前で死ぬ事は無くひっそりと何処かで死んでいるのだろう
私は人生の意味とは静寂だと久方ぶりに考えた
静寂のある所こそが終りであり始りである
ところで蝉は唐揚げにすると美味しいらしい